氷の日

古代中国には、、国王の食や酒や水など身の回りのこといっさいを司る天官という国家制度の仕組みがありました。この仕組みのなかに、「蔵氷」と「賜氷」という、を冬に作り、氷室に蓄えておき、夏に蔵から取りだし利用する凌人(りょうじん)という部署があったことが知られています。

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韓国を通じ日本に伝えられた賜氷の制度は、すでに奈良時代にはほぼ確立されていました。日本書紀の仁徳天皇62年、鷹狩りという準戦闘行為の最中に鬪鶏(つげ=現奈良市郊外の都祁村とされる)に居を構えていた氷室守りを発見し、従属させるという記述があり、長屋王廷跡から発掘された木簡から、都祁氷室と長屋王における氷の利用の実態が明らかにされています。

日本の賜氷制度は、主水司(モヒトリノツカサ、モンドノツカサ)という宮内省直属の官職により執行されてきましたが、鎌倉期前後から、いろいろな理由によって、蔵氷・賜氷の実態はほとんど無くなってしまいました。

室町期から江戸時代になると、この賜氷制度が、民間信仰と一体化して歳時として6月1日の「賜氷の節句」(しひょうのせっく)、あるいは「の朔日」(こおりのついたち)行事へと変質を遂げていきました。

この6月1日は、現代の年中行事としては、「気象記念日」、「電波の日」、「アユ漁解禁」、「衣替え」などのほか、一般的な辞書や年中行事を記した本にはほとんど記されていないが、製氷業者の全国団体が定めた「氷の日」となっています。

江戸の年中行事をしるした「東都歳時記」には、6月1日(朔日)の条には、
朔日(ついたち)
  ○氷室御祝儀(賜氷の節句) 加州候御屋敷に氷室ありて、今日献上あり。町衆にても旧年寒をもって製したる餅を食してこれに比らふ。
○富士参り。前日(5月晦日みそか)より群集す(これ富士禅定ぜんじょうの心とぞ。駿河国富士山は、つねに雪ありて登ることを得ず。ゆゑに炎暑の時を待ちて登山す。これにならひに今日参詣するなり。)
……以下略……
とあります。